green and gold

30代会社員の徒然なる雑記

そういえばブログのタイトルってなんだっけな

mo'some tonebenderっていう日本のバンドの曲名から来ているわけですが、自分でもなんでそれから引用したのか、もはや、覚えてない。

どうやら今でも活動しているどうだが、かれこれ10年以上、彼らの活動を追っかけていない。確か大学1年の時に出たアルバムに収録されてて、一時期狂ったように聞いていたと思う。ふと、このブログの存在を思い出して探してみたものの、今となってはCDどころかデータも手元にはない。


とはいえ、こうやってyou tubeでささっと聞けるもんだから、いい時代だ。

聞きたいと思えば簡単に検索してみつけることができる。

ところで、今更ながら吉田美奈子のLPが欲しくなって探しまくっているが、ちっとも見つからない。
正しくは、あったとしてもまあまあ高いので買えないのだが。

ソフトとしての音楽は簡単に手に入るのに、ハードとしての音楽は思った以上に手に入りにくい。

「音楽は聞いてなんぼ」って考えると、音楽の価値ってなんだろうって思ってしまう。

最近、断捨離やミニマリストの本を読んで、モノとの向き合い方について考えさせられ、実際に断捨離や電子書籍の導入を本格的に始めたからこそ尚更。

「音楽の何にお金を払うのか」
「モノとして手元におきたい理由はなんだろうか」


ここ数ヶ月でAmazon音楽配信を死ぬほど活用していて、データの束として、すなわちソフトとしての音楽との向き合い方が自分の生活にすごくフィットしてきていることを感じている。


そんな状況を鑑みると、決して手元に持っている必然性ってなくなるはずだし、実際にモノを手放すことへの抵抗はかなり減ったにも関わらず、今なぜか吉田美奈子のLPが欲しい。

「コレクション」とはモノを所有する虚しさを知るための修行であると、みうらじゅんは説いたが、まさに「修行」をしようとしているのだろうか。

ちなみにレコードはまだ断捨離ができていない。

吉田美奈子のレコードを手に入れたことで、手元に置きたいものと不要なものの整理につけるような気もしている。
現時点では、「ハード」と「ソフト」という音楽の二つの価値観と向き合おうとしているのではないかと、客観的に捉えておこう。



話は戻って「Green&Gold」について、当時の自分は何を思ってこのタイトルを引用したのか全く不明であり、いかに当時の自分が自分の考えを整理していなかったのかということがよくわかったのだが、今改めてこの曲を聞いてみて感じたことを書いてみよう。

「僕らグリーン、胸にはゴールド」


このフレーズだけが、10年経っても離れないのは確か。
心はいつまでもグリーンでいたいし、ゴールドを持ち続けていたいっていうのは今も変わらないなと思うが、自分の中の「ゴールド」が何か、それは少し変化したのではないだろうか。

きっとこれまでの自分にとってのゴールド(お宝)とは「モノ」だったのだと思う。
「モノ」に対する執着はすごかったのは認めるし、今でも否定はできない。

ただ、先述の通り、本当に自分にとって必要なものは必ずしも「形」として手元にあるべきなのか、それを自身に問いかけ始めている時期だと認識している。

形はなくなっても、記憶やデータといった「形のないモノ」があれば、それはいつまでも「ゴールド」なわけである。

その合理的な真理を超えたところにある、「所有したい」と思う気持ち、それはきっと「形あるモノ」への執着を捨てる為の通過儀礼というか、本当に手元に置きたい「形あるモノ」と自分にとって所有する必要のないが大切にしたい「形のないモノ」を分別するためなのかもしれない。

いずれにせよ自分にとっての「ゴールド」が何なのか、そしてそれは「形のあるモノ」である必要があるのか、30代の突入と結婚を経て、その選択をしようとしているらしい。


と、ここまで書いてみて少しは当時の考えを思い出すだろうかと思ってみたものの、やはり4年前の自分が何を考えていたのか、さっぱりわからなかったけど、こうやって今の自分の考えを記すことで、数年後の自分がこの記事を読み返した時に何を感じるだろうか、そんなことを思ったので、このブログはアップデートされていく未来の自分に向けてのメッセージにしていければ面白そうだ。


 

4年経て発掘。

四年ぶりにこのブログを発見。

自分でも完全に忘れかけていた。

気がつけば、DJをすることも少なくなり、そして結婚までしてしまった。

きっと、当時の自分はそんなことになるなんて思っていなかっただろうに。


最近これとは別でブログも作っているが、どちらかといえばこっちは雑記を好きなように書いていくブログにしようと思う。

自分の気持ちを文字にして残していくことは、自己整理でもあり、アーカイブでもあるので。


新規一転

ところで、また秋がやってきたわけです。
過ごしやすいのはいいんだけど、まずもって秋にロクなことが
ないのは生まれてこのかた変わらないので、今年も大人しく過ぎ去って
いってほしいなと思う次第。


皆様はお変わりないでしょうか。



先日、某大学の先輩が結婚をされまして、2次会というものに行って参りました。

それはそれは、もう、なんとも筆舌し難い幸せな光景だったわけで、
結婚なんてもはや空想の世界の話だと思っていたものが、
急に身近なものに感じてしまい、なんというかそういう年頃なんだなと
いうことに気づかされました。(勿論お相手なんていないのですが)


20歳を過ぎたあたりから、今日まで、ほぼ同じような感覚でずっときているので、

自分が20代後半も折り返し手前まで来ていることすら実感なかったのですが、
昨今、そういった話題も多いので、なんだか不思議な感じではいたものの、
いざ、結婚の現場というものに出くわすと、年齢も去ることながら
年月の経過を感じさせずにはいられないわけです。


というか、そういう話題とは全然関係のないところで、

最近は自分が歳をとったなと感じる瞬間が多くあります。


遊び方も変わったなとか、仕事との向き合い方を考えるとか、

悪く言えば、つまらない人になってきたような気もします。
ていうか、遊び方がアホだったってのもあるけど。



最近、5年前くらいのことを思い出す機会が多く、

あの頃の自分がどうだったとか、そういうのはもはやどうでもいいやと
思えるようにはなったのですが、逆にあの頃のみんなは今どうなんだろう?
流れ流されている自分とは対照的に、変わらずの生活でしょうか。

基本的に飽き性だから、一つのものを続けることがあまり得意じゃないわけで、

続けていくことの凄さをひしひし感じるわけですが、
もはや飽き性を認めてしまっているからこそ、嫌いにならない為に
うまくやることも大事だったりするわけ。


と、抽象的ではありますが、そんな状況。




ただ、流されやすい中にも根本的に引っ掛かるポイントっていうのも、

歳を追うごとに明確にはなってきていて、それはひとえに色んな人に出会えたり、
よくしてもらったりとした中で育まれたものだと思っているわけです。

相変わらず、一つの所に留まるのがあまり好きなタイプではないし、

それゆえに客観視できたことも沢山あるわけで。


こっからの話は、どちらに転ぶかは分かりませんが、

間違いなく今は変化のタイミングだと思う。


向いてないことも、向いていることも、一旦リセットして、

次の一手を考えることにしましょう。




Ain't no mountain high enough

そろそろ名古屋に来て4年経つ。


あれ?って感じ。


何回も言うけど、関西にいた頃の記憶みたいなものが、
濃密で強烈だったのはあるけど、結局関西にいた頃よりも
名古屋の時間が多くなってしまうのです。


未だにマインドは関西人のつもりでいたけど、
「いっても名古屋のほうが長いじゃん」みたいなことになってしまっている。




そんなこだわるような話ではないけど、
最近、いろいろ考えてるのは、これからはローカル文化が
全てを支えてくんじゃなかろうかと。




インターネットのグローバリズムがこれからのトレンドになっていく
のだろうと2004年くらいから言われてきているけれども、
昨年、それが本格的に訪れたと実感している。


東京一極集中の価値観は、もう通用しないというか、
ローカル文化がインターネットでただの地方文化じゃなくなってしまった
と言った方が正しいのかもしれない。


一方で最先端のITリテラシーをおいかけようとしている人ほど、
世の中全体の空気感に惑わされているようにも感じる。




本当に感度が高い人は、そんなことを鼻息荒くなるまでもなく、
ごく自然と融和した生活になってしまっているわけだったりするし、
実はそういう人ほど東京という絶対的価値観から解き放たれ、
地方の、地元の、身近な空気感を、極自然にネットワークと融合した形で
実践していると思われる。




音楽的な話で言えば、T.R.E.A.Mであったりmaltineだったりするんだろうけど、
2012年のカルチャーとして見れば、それは色んな分野でそうなってたりする。


そして、面白いのはそんなネットワークカルチャーが自然に
自分達の生活に溶け込んでる人の方が、フィジカルな出会いを
大事にしていることが多い。




それを一番象徴してると思ったのが前述するT.R.E.A.Mアンセム
「Local Distance」であり、tofubeatsとokadadaがドロップした
「Local Distance」のアンサーだと思う。




"インターネットが縮めた距離を インターネットが開いてく 今日も"


"(distance) 俺らいつもオンラインで 
 (distance) でもたまにはオフラインで 
 (distance) その時は握手しようぜ "
    ※Local Distance/dancinthruthenights


ソーシャルネットワークがフィジカルなコミュニケーションを
疎遠化していると言われているが、実は本当にオンライン上での
コミュニケーションに長けている人ほど、フィジカルなコミュニケーションを
大事にしていることを象徴している。


それぞれが自分たちの土地を大事にしつつも、
オンライン上で簡単に繋がる架空の距離を、
フィジカルな距離としても近づけようという動き。




そう考えると、実は別にどこにいようと、
その土地に執着しなくても、別に世の中は地続きで
考えられるんじゃないかと思えてくるのだ。




自分の住む土地に愛着を持ちつつ、
世の中はそこだけで完結しているわけではなく、
言ってしまえば近所を散歩するような感覚で、
どんな地方の人とも共感し合える時代になってるわけです。




話を戻すと、確かに僕は関西にいた4年間があり、
今この土地にきて4年が経とうとしている。
一般的な感覚でいえば、もう今の土地がホームってことに
なるんだろうけど、むしろホームがあったとしても、
結局どこもかしこもご近所さんって考えてよいのだ。




あとは、そこでどう足を動かすか。


重たいと思っていた足は、実はものすごく軽くなっている時代だからこそ、
歩きやすい靴を履いて、外に出ることから、始まる。




ここはホームであり、玄関なのだから。





おいそれとばかりに

今週土曜のizumiについて、思うことがありすぎるので、
この場を借りて書きます。

クラブ的なところに遊びにいくようになって、7、8年?くらいでしょうか。
その前はバンドやってて、正直テクノとかは軟弱なやつが聞く音楽みたいに
思ってたわけですが、大学入ってすぐに勧誘されたLIVEをみんなで見に行く
謎のサークルに誘われて、そこにいたローファイパンクとかニューウェーヴとかポストロックとか
シューゲーザーとか、三重にいた頃はかすりもしなかった音楽を聞いてる先輩達が
妙にかっこよく感じたのです。
土曜の昼に、トアロードから二本東に入った筋にあるライブハウスみたいなとこで
パーティをやってて、どこからかCDJを借りてきて、「時計仕掛けのオレンジ」をスクリーンに
写しながら思い思いに先輩達がDJをしてた。
その時聞いたのが、joy division"Love Will Tear Us Apart"

そのサークルもあっという間に空中分解して、今やその頃の人達で
連絡取れるような人もいなくなったけど、あれが全てのきっかけだったような気がするのです。
※余談ですが、そのサークルの人達がやっていたバンドのツーマンライブがあって
 チケット予約しようとメール送ったら対バンの人だったことがあります。
 その人は、初めて行った07年のフジロックにルーキーで出てた
 mass of the fermenting dregsのボーカルでした。

それから色んな事がありすぎたので割愛しますが、
貴重な経験を沢山させていただいたり、素晴らしい出会いに本当に
恵まれていたと思います。

社会人になって何の因果か、名古屋に移ってきてもうすぐ4年。

正直、三重にいた頃、客観的に見てずっと感じていた名古屋の閉塞感は
移り住んでもなお、未だに拭い切れてるとは思っておりません。

住み始めた頃は、それはそれは辛かったですが、
自分で変えるしかないと分かっていながら何も出来ない時間が二年近くありました。
客観的に見た名古屋の作法に捕われないやり方でやってきたいという
無駄なのかなんなのかわからない変なプライドを持ったまま、出会ったのがuchidaという男。

こいつが中々の変わり者なんだけど、どこか考えてる事が違う割に、
行動が今ひとつ不可解。

という、個人的な興味から、「こいつは面白い事やりそうだな」と思って、
始めるならこいつとだなizumiと始めたのが2010年。

個人的な話をすると、かなり自分の中で葛藤の毎日ではあった気がします。

ここ最近で言えば、正直僕自身が軸がブレまくっているのは、見ても分かる通り。
本来あるべき姿ではないと思ってるのですが、izumiとはどういうパーティなのか?っていうのを
説明するのが特に難しいと思うのです。

勿論、それは僕のせいだと思ってますが。


ただ、ある時、ふと、ぼんやりと浮かんだのが、uchidaと僕が共通して刺さるものは
「エモさ」なんじゃないかなって思ったわけです。

それは、ある意味で幸せな勘違いなのかもしれないですが、
そう思うと、妙に気持ちが楽になりました。

何が言いたいかと言うと、結局、自分達が何に響いて、どうアウトプットしていきたいのか、
それがぼんやりとながら見えたのがデカいと。
まだ、それが達成できてるとも到底思えてないですが、その幸せな勘違いの元に、
突き進めることも、大きいことだなって思うのです。


今、そんな心境で次のizumiを迎えようとしています。

と、言ってもされどパーティなので、それを押し付けるつもりはないですし、
捉え方はいろいろあるべきものです。

ただ、自信を持って自分達が目指しているものを作ろうとしている事ははっきり言えます。

僕ら自身は、まだまだだと思っていますが、現時点で出来ることは
やり切るつもりです。


それを、ほんの少しでも感じてもらえるような場が提供できれば、
幸いだと思います。



かつて、一緒の現場で頑張っていた仲間達も、いつの間にか現場から
離れていってしまった。
あれだけ華やかに、志高くやってた奴らも見かけなくなってしまった。

否定をするつもりはないし、それぞれの事情で難しいこともあると思う。
それでも粘り強く続けている奴は魅力的だし、刺激になる。
特に同世代でも、地道に続けていく奴らも近くにいた。

izumiの前日にあるsugarvilleも、勝手ながらそういう奴らが心血注いで
いいパーティ作ってると思うし、一緒にこの世代を盛り上げていきたいと本当に思う。


簡単に言えば、一瞬の出来事で、過ぎ去ってしまえばどうってことのないもの
だったりするけれど、そこにどれだけ思いを詰め込めるかを、
これからも大事にしていきたいと思う。

終わらない夜も、迎える朝もひっくるめて、僕らにしか作れない一晩を


izumi
2012.3.17.sat
ar cafe domina(NAGOYA)
charge: door only \1500

pick up DJ:IKEDA X

izumiDJs:omarn/uchida

izumi food :AYA










26歳とは

昨日、大学の友人達と旅行に行ってきた。

よく言えば探究心が強く、悪く言えばモラトリアムに浸りやすい
大学時代の友人達ではあるが、さすがにこの年くらいになると皆仕事をしているわけで、
四半期に一回くらい旅行に誘われるのだ。

大体は皆関西にいるので、よく遊んでいるメンバーがメインなのだが、
自分が関西に帰ってもあんまり会わないものだから、
四半期とはいえ卒業してからもう4年が経つ中でもこうやって
コンスタントに誘ってもらえることは幸せな事だと思う。

大学のサークルというコミュニティを通じた付き合いではあるが、
卒業して数年が経ってくると、そういったコミュニティ的な
閉塞感に縛られない関係になってくるからこそ、
居心地もよく、自分自身が普段身を置く環境からも離れた
フラットな気持ちになれるのがまたよい。

あの頃の友人達の多くは、SNSを通じた情報か、
この旅行で会う友人達から聞くかのどっちかになってしまうのだが、
聞けば聞くほど、皆本当にマトモな大人になっていっているのがむずがゆい。

誰よりも早く社会に出たいと思っていた自分が、
未だになんだか子供染みた悪あがきをしているような気がするのである。


と、なんだか感慨深くなりながらも、今回は自分の住む愛知県に来てくれたのである。


こっちに住むと嫌ほど分かるけど、名古屋に限定すると本当に楽しい場所(観光的に)はない。
何も分からず来て、適当な旅行雑誌を見ても一日あったら網羅できる上、あまり感動もない。
そんなところに住んでいて、どこに楽しみを見つけるのかと聞かれても、
かなりじっくり時間をかけないと本当に面白い場所には辿り着けないのである。

ただ、皆は焼き物に興味があったので、今回のメインは常滑焼ということになった。
となれば、やはり知多である。

知多については、多分愛知県に住まなければその良さには気づけない場所なんだと思っていただけに、
彼らには是非体験してもらいたいと思ったのだ。

愛知県と言えば名古屋かトヨタになりがちなので、あまり地方に取り上げられることはないが、
知多や三河湾渥美半島なんかは本当に美しいところばかりだと思う。
何気に、僕自身が名古屋に住んでいて気に入っていることでもあるからこそ、
知ってもらいたかったが、彼らの目にはどう映ったのだろうか。

彼らは旅行が好きで、各々がよく海外に旅行にいく。

気候であったり、文化であったり、まったくこの国とは異質なものが
溢れているのは見逃せない事実だと思う。

ただ、僕は日本にいて、自分の住む街を地元とするならば、
そこにある気づくことがなかった良さや美しさに感動させられることが本当に多い。
海外から見える日本も大事だが、自分の住む国の中で見えなかった面を
見つけることも大事だと思う。

この街に住んで、自分が見つけたそんな部分を、彼らに少しでも見せることができたと思いたい。



おそらく次はGWあたり。
そう頻繁に会わないものの、あまりお互いの時間を感じさせないのは
いい事だが、そのお互いが知らない時間の中で確実に大人になっていっている事を
事後報告として受け止める瞬間は必ず起きる。
次会う時、自分はどうなっていて、どういう話ができるのだろうか。

毎回そんな事を帰った後に思うが、今回はいつも以上に考えることが多かった気がする。
それは今の年齢のせいかもしれないし、変わらない自分への焦りかもしれない。

ただ、ぼんやりとしていても月日は過ぎることは平等に与えられた事実であり、
可能性でもあるのだからこそ、尚更ネクストステージを意識せざるを得ないのだ。

神戸にいた頃を思い出して

年明け一週目の土曜日は古巣神戸でDJをしました。

 
僕が神戸の時にレジデントVJをやっていたsailouというパーティが
復活するという事で、今回は駄々をこねてDJでださせてもらいました。
 
よく考えてみれば僕が活動していたのは06年1月から休止になる07年4月までと
実はかなり短い時間だったのですが、まあ濃い時間だったと思います笑
 
みんな学生だったから結構無茶もしたし、その活動の中でデザイン的なお仕事を
いただいたり今にも繋がる出会いもたくさんあったり。
 
面々は今も現役で頑張っているやつもいれば、東京にいったやつもいたり、
仕事をし始めてちょっと距離を置いたやつもいたり、
結婚したやつもいたり、さらには一時期リアルに行方不明になっていたやつもいたり。
 
そんな感じで新年会でもあり同窓会的な感じもあって即答で「やる」と言ったのは、
実はかなり前だったような気がする。
 
 
当時、こういう言い方も微妙だけど、VJが少なかってこともあって、
変に重宝がられていて、DJもやっていたけどもあまり声がかかることはなかったのです。
VJも嫌いではなかったけど、途中からその存在意義みたいなものを考える時期があって、
その中で「本当に必要と思って声をかけてきてるのかな?」と疑い始めたくらいから
DJで頑張ってきたいなって思ったものの、VJとしてのイメージが立ってしまったことが
結果として邪魔をしてしまったのかな?と思ってます。
(今は、客観的にパーティを見れるポジションにいたってことがよかったと思うけど)
 
10年末にも神戸でDJしたけど、今度は自分がやっていたパーティに現在進行系の
自分をぶつけれるってことで、かなり楽しみでした。
 
 
が、結論から言うと、惨敗したと思ってます。
 
ただ、神戸ってこんな感じだったなっていうのは、強く思い出しました。
そしてそれが、他の地方にはない独特の空気感だということに、ようやく気がついた。
 
パーティ前に、なりゆきで今神戸でDJをされている方達の飲み会に
9割初対面の状況で話をしていて、昔にはいなかったタイプのDJも
たくさんいるなーって思っていたけれども、根っこにあるグルーヴというか
空気感的なものっていうのは、本当に独特だと思う。
 
フロアやバーカウンターをどこか手持ちぶさたな感じで練り歩く。
それは、6年前初めて参加したsailouとちょうど同じsparkの時の雰囲気と
何一つ変わらない感じだった。
 
あの頃を思い出す。振り返る。
それは、確かに美しい記憶だと思う。
 
だけど、あれからそれぞれ変わったものがあると思う。
現に自分がそうだと思うほど、たくさんのことがあって変わったはず。
それを、どう神戸に持ち帰るか、神戸にどう作用させるかをずっと考えていた。
 
 
朝五時半くらいだっただろうか、最後の曲から針が離れた。
 
相変わらずオーガナイザーは、酒で潰れきり曲をかけたきりでブースに
そのまま倒れ込んだ。
あまりにも変わっていないところに、ちょっと笑ってしまった。
 
 
 
 
神戸は、僕の知らない時間がたくさん過ぎていった。
あの頃なら相変わらずだなと思えただろう。
だけど、そのとき感じたなんとも言えない違和感というのは、
そこが「かつて自分がいた場所」だということを認識せざるを得なかった。
 
潰れたオーガナイザーを大の大人が数名がかりで介抱してようやく店を出て、
とにかく腹が減ったので、メシを食って、余韻も残らぬ内に名古屋に帰った。
 
 
そう、それでよかったのだ。
 
 
それ以上は、何も言わないし、何も言えない。
 
 
 
潰れたオーガナイザーが潰れる前に言われた、この一言。
 
「沢山のいいものからの影響はすごく感じるが、オリジナリティまで落とし込めていない」
 
 
一言で射抜かれた。
 
 
 
 
それを探し続けるしかないのだ、結局。
 
振り返ることなく、現在進行形の形で。