そういえばブログのタイトルってなんだっけな
mo'some tonebenderっていう日本のバンドの曲名から来ているわけですが、自分でもなんでそれから引用したのか、もはや、覚えてない。
どうやら今でも活動しているどうだが、かれこれ10年以上、彼らの活動を追っかけていない。確か大学1年の時に出たアルバムに収録されてて、一時期狂ったように聞いていたと思う。ふと、このブログの存在を思い出して探してみたものの、今となってはCDどころかデータも手元にはない。
とはいえ、こうやってyou tubeでささっと聞けるもんだから、いい時代だ。
聞きたいと思えば簡単に検索してみつけることができる。
ところで、今更ながら吉田美奈子のLPが欲しくなって探しまくっているが、ちっとも見つからない。
正しくは、あったとしてもまあまあ高いので買えないのだが。
ソフトとしての音楽は簡単に手に入るのに、ハードとしての音楽は思った以上に手に入りにくい。
「音楽は聞いてなんぼ」って考えると、音楽の価値ってなんだろうって思ってしまう。
最近、断捨離やミニマリストの本を読んで、モノとの向き合い方について考えさせられ、実際に断捨離や電子書籍の導入を本格的に始めたからこそ尚更。
「音楽の何にお金を払うのか」
「モノとして手元におきたい理由はなんだろうか」
ここ数ヶ月でAmazonの音楽配信を死ぬほど活用していて、データの束として、すなわちソフトとしての音楽との向き合い方が自分の生活にすごくフィットしてきていることを感じている。
そんな状況を鑑みると、決して手元に持っている必然性ってなくなるはずだし、実際にモノを手放すことへの抵抗はかなり減ったにも関わらず、今なぜか吉田美奈子のLPが欲しい。
「コレクション」とはモノを所有する虚しさを知るための修行であると、みうらじゅんは説いたが、まさに「修行」をしようとしているのだろうか。
ちなみにレコードはまだ断捨離ができていない。
吉田美奈子のレコードを手に入れたことで、手元に置きたいものと不要なものの整理につけるような気もしている。
現時点では、「ハード」と「ソフト」という音楽の二つの価値観と向き合おうとしているのではないかと、客観的に捉えておこう。
話は戻って「Green&Gold」について、当時の自分は何を思ってこのタイトルを引用したのか全く不明であり、いかに当時の自分が自分の考えを整理していなかったのかということがよくわかったのだが、今改めてこの曲を聞いてみて感じたことを書いてみよう。
「僕らグリーン、胸にはゴールド」
このフレーズだけが、10年経っても離れないのは確か。
心はいつまでもグリーンでいたいし、ゴールドを持ち続けていたいっていうのは今も変わらないなと思うが、自分の中の「ゴールド」が何か、それは少し変化したのではないだろうか。
きっとこれまでの自分にとってのゴールド(お宝)とは「モノ」だったのだと思う。
「モノ」に対する執着はすごかったのは認めるし、今でも否定はできない。
ただ、先述の通り、本当に自分にとって必要なものは必ずしも「形」として手元にあるべきなのか、それを自身に問いかけ始めている時期だと認識している。
形はなくなっても、記憶やデータといった「形のないモノ」があれば、それはいつまでも「ゴールド」なわけである。
その合理的な真理を超えたところにある、「所有したい」と思う気持ち、それはきっと「形あるモノ」への執着を捨てる為の通過儀礼というか、本当に手元に置きたい「形あるモノ」と自分にとって所有する必要のないが大切にしたい「形のないモノ」を分別するためなのかもしれない。
いずれにせよ自分にとっての「ゴールド」が何なのか、そしてそれは「形のあるモノ」である必要があるのか、30代の突入と結婚を経て、その選択をしようとしているらしい。
と、ここまで書いてみて少しは当時の考えを思い出すだろうかと思ってみたものの、やはり4年前の自分が何を考えていたのか、さっぱりわからなかったけど、こうやって今の自分の考えを記すことで、数年後の自分がこの記事を読み返した時に何を感じるだろうか、そんなことを思ったので、このブログはアップデートされていく未来の自分に向けてのメッセージにしていければ面白そうだ。
秋
ところで、また秋がやってきたわけです。
過ごしやすいのはいいんだけど、まずもって秋にロクなことが
ないのは生まれてこのかた変わらないので、今年も大人しく過ぎ去って
いってほしいなと思う次第。
皆様はお変わりないでしょうか。
先日、某大学の先輩が結婚をされまして、2次会というものに行って参りました。
それはそれは、もう、なんとも筆舌し難い幸せな光景だったわけで、
結婚なんてもはや空想の世界の話だと思っていたものが、
急に身近なものに感じてしまい、なんというかそういう年頃なんだなと
いうことに気づかされました。(勿論お相手なんていないのですが)
20歳を過ぎたあたりから、今日まで、ほぼ同じような感覚でずっときているので、
自分が20代後半も折り返し手前まで来ていることすら実感なかったのですが、
昨今、そういった話題も多いので、なんだか不思議な感じではいたものの、
いざ、結婚の現場というものに出くわすと、年齢も去ることながら
年月の経過を感じさせずにはいられないわけです。
というか、そういう話題とは全然関係のないところで、
最近は自分が歳をとったなと感じる瞬間が多くあります。
遊び方も変わったなとか、仕事との向き合い方を考えるとか、
悪く言えば、つまらない人になってきたような気もします。
ていうか、遊び方がアホだったってのもあるけど。
最近、5年前くらいのことを思い出す機会が多く、
あの頃の自分がどうだったとか、そういうのはもはやどうでもいいやと
思えるようにはなったのですが、逆にあの頃のみんなは今どうなんだろう?
流れ流されている自分とは対照的に、変わらずの生活でしょうか。
基本的に飽き性だから、一つのものを続けることがあまり得意じゃないわけで、
続けていくことの凄さをひしひし感じるわけですが、
もはや飽き性を認めてしまっているからこそ、嫌いにならない為に
うまくやることも大事だったりするわけ。
と、抽象的ではありますが、そんな状況。
ただ、流されやすい中にも根本的に引っ掛かるポイントっていうのも、
歳を追うごとに明確にはなってきていて、それはひとえに色んな人に出会えたり、
よくしてもらったりとした中で育まれたものだと思っているわけです。
相変わらず、一つの所に留まるのがあまり好きなタイプではないし、
それゆえに客観視できたことも沢山あるわけで。
こっからの話は、どちらに転ぶかは分かりませんが、
間違いなく今は変化のタイミングだと思う。
向いてないことも、向いていることも、一旦リセットして、
次の一手を考えることにしましょう。
Ain't no mountain high enough
そろそろ名古屋に来て4年経つ。
あれ?って感じ。
何回も言うけど、関西にいた頃の記憶みたいなものが、
濃密で強烈だったのはあるけど、結局関西にいた頃よりも
名古屋の時間が多くなってしまうのです。
未だにマインドは関西人のつもりでいたけど、
「いっても名古屋のほうが長いじゃん」みたいなことになってしまっている。
そんなこだわるような話ではないけど、
最近、いろいろ考えてるのは、これからはローカル文化が
全てを支えてくんじゃなかろうかと。
インターネットのグローバリズムがこれからのトレンドになっていく
のだろうと2004年くらいから言われてきているけれども、
昨年、それが本格的に訪れたと実感している。
東京一極集中の価値観は、もう通用しないというか、
ローカル文化がインターネットでただの地方文化じゃなくなってしまった
と言った方が正しいのかもしれない。
一方で最先端のITリテラシーをおいかけようとしている人ほど、
世の中全体の空気感に惑わされているようにも感じる。
本当に感度が高い人は、そんなことを鼻息荒くなるまでもなく、
ごく自然と融和した生活になってしまっているわけだったりするし、
実はそういう人ほど東京という絶対的価値観から解き放たれ、
地方の、地元の、身近な空気感を、極自然にネットワークと融合した形で
実践していると思われる。
音楽的な話で言えば、T.R.E.A.Mであったりmaltineだったりするんだろうけど、
2012年のカルチャーとして見れば、それは色んな分野でそうなってたりする。
そして、面白いのはそんなネットワークカルチャーが自然に
自分達の生活に溶け込んでる人の方が、フィジカルな出会いを
大事にしていることが多い。
それを一番象徴してると思ったのが前述するT.R.E.A.Mアンセム
「Local Distance」であり、tofubeatsとokadadaがドロップした
「Local Distance」のアンサーだと思う。
"インターネットが縮めた距離を インターネットが開いてく 今日も"
"(distance) 俺らいつもオンラインで
(distance) でもたまにはオフラインで
(distance) その時は握手しようぜ "
※Local Distance/dancinthruthenights
ソーシャルネットワークがフィジカルなコミュニケーションを
疎遠化していると言われているが、実は本当にオンライン上での
コミュニケーションに長けている人ほど、フィジカルなコミュニケーションを
大事にしていることを象徴している。
それぞれが自分たちの土地を大事にしつつも、
オンライン上で簡単に繋がる架空の距離を、
フィジカルな距離としても近づけようという動き。
そう考えると、実は別にどこにいようと、
その土地に執着しなくても、別に世の中は地続きで
考えられるんじゃないかと思えてくるのだ。
自分の住む土地に愛着を持ちつつ、
世の中はそこだけで完結しているわけではなく、
言ってしまえば近所を散歩するような感覚で、
どんな地方の人とも共感し合える時代になってるわけです。
話を戻すと、確かに僕は関西にいた4年間があり、
今この土地にきて4年が経とうとしている。
一般的な感覚でいえば、もう今の土地がホームってことに
なるんだろうけど、むしろホームがあったとしても、
結局どこもかしこもご近所さんって考えてよいのだ。
あとは、そこでどう足を動かすか。
重たいと思っていた足は、実はものすごく軽くなっている時代だからこそ、
歩きやすい靴を履いて、外に出ることから、始まる。
ここはホームであり、玄関なのだから。
おいそれとばかりに
2012.3.17.sat
ar cafe domina(NAGOYA)
charge: door only \1500
pick up DJ:IKEDA X
izumiDJs:omarn/uchida
izumi food :AYA
26歳とは
神戸にいた頃を思い出して
年明け一週目の土曜日は古巣神戸でDJをしました。